目次


あとがき


 平成六年に第一歌集「沙羅の咲くころ」を出版しましてから十年がたちました。阪神淡路大地震が、翌年七年にありました。傾いて斜めにすきまのあいた窓にガムテープを貼って、古い家に住み続けました。平成八年に舅がなくなりました。姑に遅れて十年がたっていました。九十二才でした。震災後恐る恐る住み続けていた家を離れる決心をしました。より北部、丹生山系のふもとに拓けた青葉台団地に居を移しました。楽しい悠悠自適の生活が待っているはずでした。しばらくして、夫がアルツハイマー病と診断されたときのおどろき、医師から「記憶を失ってしまわないうちにしてあげることはありませんか。」と言われました。父を見送ってから始めた全国一周の旅を全うすることにしました。二泊三日、三泊四日と旅に出ました。北は北海道、南は波照間鳥が見える所まで夫を連れて行きました。その旅も病名を告げられてから三年目に叶わぬようになりました。
 歌集「青葉台日記」は夫との旅の日記であり、介護の日々の記録です。夫の介護はますます困難になっていきます。めまぐるしい十年でした、あっというまの年月でした。今、私は心身の衰えを感じています。自分で整理できるうちにと第二歌集をまとめました。
 短歌のことでは、平成二年に「老後を考える会」の短歌同好会に初めからかかわっておりました。そして平成六年に講師の別院実先生(ポトナム)の急なご逝去により、その後を余儀なく引き継いでまいりました。拙い私の歌評を快く受けいれて、集まって下さった会の人達の熱意に助けられて短歌を捨てずにこられました。年刊誌「すずかけ」は手製ながら去年十一号をまとめることができました。会の皆さんに感謝しています。
 ただ歌稿を送るだけの私をこころよく受け入れてくださっている「群帆」の、後藤直二先生ありがとうございます。
 介護のことでは、昨年二月、ホームヘルパー二級の資格を取りました。日頃から専門的知識の必要性を感じておりました。毎日の生活では大勢の人達に助けられました。電話一本でとんで来てくれる弟夫妻、甥、近所の方々やヘルパーさん、それにすこし心に変調をきたしていた私に、さりげなく労いの言葉で励ましてくださった、夫の主治医である、岸川雄介先生感謝しています。忘れてはならないのは洋裁教室の面々です。縁あって私の教室に学んでくださった方々は、折りにふれ私を励まし力づけてくださいました。週に三回の洋裁士としての仕事が私を支えてくれています。誰かれの助けなくして人は生きられないと実感しています。ありがとうございました。皆さん。

 支えられ助けられつつ過ごしきて感謝の日々は続くこの後も

 平成十六年睦月
中野知子

目次